オイルロード

オイルロード 原油の旅

OIL ROAD

遠い昔。まだ駱駝以外には満足な交通手段すらない時代、人々は峻厳な山々を越え炎熱の砂漠に耐え、絹を求めて世界の東の果てへと西の果てへと行き来した。
シルクロード……。
遠くアラビアと中国とを結ぶ、か細い、しかし重要な古代の交易路である。その名の由来となった絹ばかりでなく、中国からは紙や火薬や羅針盤の技術が、アラビアからは精妙な輝きを秘めたガラス器や数多くの科学技術が、この道を通して運び出された。シルクロードは,隔絶していた東西の文化の交流に重要な役割を果たしていた。
今、21世紀。シルクロードは砂漠の砂に埋もれ、歴史の桧舞台から退場してすでに久しい。 しかし世界の東と西とを新しいルートで結び、シルクロードに劣らぬ重要な役割を果たす一本の道が登場している。遠くアラビアから日本へ、隊商ではなく「タンカー」が、絹ならぬ「原油」を運ぶ海上の道。中東諸国には富を、そして日本には産業と生活に不可欠なエネルギーを運ぶ、現代世界の大動脈。 その名をオイルロードという。

中東―日本1万キロ

航行中の巨大タンカー

オイルロードの道程は、かつてのシルクロードにもまして果てしなく長い。そしてまた海という自然条件は、よりいっそうの過酷さをももたらす。図版とともに、現代のオイルロードの全容を駆け足で眺めてみよう。
古くは砂漠と遊牧の民の地であった、クウェート、サウジアラビア、オマーンなどの中東地域。そこは今日では日産2,800~3,000万バレルの原油を生産する、世界有数のエネルギー供給基地である。とりわけアラビア半島とイラン・イラクの地にはさまれたペルシャ湾は数多くの良質の油田に恵まれており、沿岸にはダス島、カーグ島、ラス・アル・カフジ、ラスタヌラ、メサイードなどの原油積み出し港が立ち並んでいる。湾内は日夜タンカーが行き来し、俗に"タンカー銀座"と呼ばれているほどの賑わいだ。

UAEフジャイラ沖錨地のレーダー映像

日本までの距離はおよそ1万キロ。これは実に、地球全周の4分の1強に相当する。中東の人々にとって日本は、地球の4分の1周してようやく到達するはるかな異郷なのだ。
ペルシャ湾の天候は変わりやすく、また甲板で卵焼きが出来るほどの酷暑が現代の隊商たち―─タンカー乗組員を悩ませる。イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク侵攻など、戦争の巻き添えになる危険に加えてアラビア海における武装海賊の襲撃も加わった。ホルムズ海峡を通過してペルシャ湾から出ると、オイルロードはアラビア海、そしてインド洋へと続く。英植民地の雰囲気を残すボンベイ(現ムンバイ)、旧ポルトガル植民地ゴアの沖合を通過するが、石油を積む大型タンカーは全くの無寄港航海だから瞥見する余裕はない。

シンガポール海峡

スリランカ沖合を越えてインド洋を東進、スマトラ島北岸に達するといよいよオイルロード最大の難所、"魔の海峡"マラッカ海峡である。
この海峡は狭くしかも浅いため、これまで多くの海難事故が発生している。水深はおおむね21~45メートル、もっとも浅い場所だと13メートルに満たない部分もある。大型船の吃水はちょっとしたものでもすぐ12~13メートルを超え、巨大タンカーでは20メートル以上になるので、これは航海可能ギリギリの数字といえる。

しかしマラッカ海峡を迂回し、より南のロンボク海峡~マカッサル海峡にルートを設定すると、片道でおよそ2200キロの離路となり、船の燃料費などコスト上重大な損失が出る。そのため、船長はじめ乗組員一同は胃をいためながらマラッカ海峡を通っているというのが現状である。

さて、マラッカ海峡、シンガポール海峡を抜けると一路日本にむけて北上。南シナ海を通過して日本近海へと到達する。熱帯の海を抜け出し馴染み深い温帯の海へ戻ったとはいえ、夏から秋にかけての台風、冬の荒天など決して気を抜くことは出来ない海域だ。しかし、ここまでおよそ1万キロ。オイルロードをひた走る長い航海(通常ほぼ20日)も、ここまでくればようやく最終段階と言えるわけである。
そしてオイルロードの最終到達地日本。

入港作業中の巨大タンカー

かつて"黄金の国ジパング"と呼ばれたこの国には現在、千葉、四日市、喜入など北から南まで数多くの原油受け入れ基地がありはるばる1万キロの旅をしてきたタンカーとその原油を出迎える。各地で荷揚げされた原油は、貴重なエネルギーに、あるいはさまざまな石油化学製品になって利用される。
オイルロードは、現代日本を"ジパング"たらしめているのである。