オイルロード

巨大タンカーの航海Ⅳ

マラッカ海峡を越えて

マラッカ海峡メダン沖の海図

船はオイルロードの熱帯の海を東進し、アラビア海、インド洋を越え、いよいよマラッカ海峡にさしかかった。
ここは狭く浅く、かつて何隻もの船が座礁しあるいは衝突事故を起こして沈んでいった"魔の海域"である。
マラッカ・シンガポール海峡は、マレー半島とスマトラ島に挟まれたおよそ800キロの海峡である。幅はマラッカ港付近でおよそ48キロ。全域が水深21~45メートル浅所で、ルートによっては水深13メートル程度という海域が随所にある、大型船にとってはおそるべき場所だ。とりわけシンガポール海峡でもフィリップチャンネルからラッフルズ燈台-シンガポール間は、多数の大型船や小型船が入り交じって通航する航路となっており、操業漁船も多い上に潮の流れも激しくもっとも警戒すべき場所となっている。

海賊あらわる!

海賊乗込み防止ワイヤ

このマラッカ海峡、実はもうひとつ悩みの種がある。"海賊"が現れるのである。 21世紀になのになんという時代錯誤と一笑に付す人も多いかもしれない。しかし、これは真実である。本船は幸い襲われた経験はないが、毎年多数の船が被害にあっているのだ。

マラッカ海賊の手口は次のようなものだ。

浅所・狭水路航行のためゆっくり走っている船の後ろから、小型船で接近する。近づいたらヒッカケ金具のついたロープをかけ、そのロープを伝って船尾付近から乗船する、このとき口には半月刀をくわえているから、まさにかつての海賊のイメージである。

海賊乗込み防止用 放水

乗船したら、乗組員がマラッカ海峡を無事に通り抜けるべく必死になっているのをいいことに、船用金を持っている船長室を目指す。 突然乗組員とハチあわせしたら居直り強盗に豹変するから注意が必要だ。日本船では警察権を持っている船長でさえ何ひとつ武器を持っていない。不断の警戒と別の対策が必要である 。

対策としては、侵入できる扉は全て施錠し、ウイングに見張りを置き、不審なボートは発見したら強力な信号灯で照射し、ホースで高圧の水を掛けるなどがある。海賊に出くわしたときには無抵抗で現金を渡してお引取り願う以外にないが、これでは、マラッカもロサンゼルス、ニューヨークなみの物騒さと言っていい。 出し渋ったばかりに、船橋を占拠されると、操船する乗組員がいなくなり、最悪、座礁して油流出と言うことも起こり得る。 最近では蛮刀だけでなくサブマシンガンで武装した海賊の報告もある。マラッカ海峡を通航することは、いろいろな意味で危険極まりないことなのである。

日本到着

荷役クレーンとパイプライン

マラッカ海峡を抜けると朝焼け夕焼けの美しい南シナ海である。KYO-EIは一路日本へ向けて北北東に進路を取った。
フィリピンのルソン島以北の海域は、夏から秋にかけては台風が進路を阻み、冬は季節風が牙をむいて船の真正面から挑んでくるところである。船にとっても乗組員にとっても、波穏やかな日本の港に抱かれる日が待ち遠しい。 KYO-EIには通信衛星を介する双方向通信システム(VSAT-Very Small Aperture Terminal System)が装備されている。 乗組員は、このシステムを利用して、家族との連絡やインターネットへの接続が可能である。

入港 ― 京葉シーバース

京葉シーバース

日本に近づくと日本のテレビ電波が届き、乗組員の心を安心と期待でいっぱいに満たす。久し振りに見る日本の光景は、だれの心にも長いオイルロードの航海の末に無事に帰りつきそうだという安心感をもたらすのである。しかし、KYO-EIの任務はまだ終わってはいない。巨船を無事に着岸させ、はるばるペルシャ湾から運んできた積み荷である原油を降ろさなくてはならないのである。KYO-EI一隻で日本の一日の原油消費量の約1/2を輸送しているのだ。

揚荷用のパイプを接続

入港は、出港と同じようにパイロットが乗船しその操船のもとに行われる。本船の荷揚げ港千葉港では6隻のタグボートが出迎えて、荷揚げ地の京葉シーバースまで本船を曳航する。船橋上部に白赤のパイロット乗船旗、赤の危険物搭載旗をなびかせたわれらがKYO-EIは、シズシズとシーバースに近づく。 500メートルの距離を1時間近くかける慎重さだ。

これも本船を桟橋などにぶつけず、シーバース所定の位置――荷揚げパイプの取り付け可能位置にピタリとつけるためである。船橋はもちろん、船首、船尾にも総員が配置されている。シーバースに近づいたら本船の20本もの係留ワイヤーを固定して着桟終了である。

再び、オイルロードへ

再びオイルロードへ

本船はすでに入港する数日前から原油の受け入れ側と連絡を取っており、港では入港してからただちに積みおろしの作業にかかれるように段取りが整っている。効率的な運航のためには、素早い積み降ろしもまた不可欠なのである。

ラスタヌラから日本まで、紙上でVLCC KYO-EIの航海を行ってきたわれわれの旅もここでおしまいだ。しかし、一切の作業を終えたKYO-EIは休む間もなく再びオイルロードの旅に出発する。日本では毎日莫大な量の石油が消費され1万キロかなたの炎熱の砂漠では、運ばれるべき原油が着々と生産されているのである。